——……? あれ? ここ……どこだろう。

花音は見覚えの無い景色の中にいた。

綺麗な星の出ている夜。……綺麗な……ヨル……。

——誰かがいる。

誰? 見た事があるの。翼の生えているあの人……。

すると突然、その人は黒い影の中に消えて行った。

——あ、待って! 行かないでっ! 誰なの? 待って……待ってったら!

「————待って!」

ぐいっ! と、花音は薫の腕を掴んでいた。

「どうしたの? 花音。すごいうなされてて、何度呼んでも起きなくて……」

薫がそう言うと、花音は、「夢……?」

と、呟いた。

「夢? 何か怖い夢でも見たの?」

薫が心配そうに顔を覗かせた。

「う……ううん。大丈夫。何でもないの」

花音は夢の内容を話せなかった。

——思い返せばはっきりわかる。あの人は沖田君だ。でも何で? 翼が生えてた。夢だけど気になる。夢だけど……————

「——ん……花音!」

「うわっ! な、何?」

気が付けば、薫が横で呼んでいた。

「どうしたのよ。気が付いたと思えば上の空で」

「ん?」

——言えないよ。こんなこと。だって、夢なんだもん。

「何でもない。本当に変だね。まだ頭が起きてないのかも……」

花音はそう言うと、手をギュッと握った。

「花音さん。もう大丈夫なんですか?」

部屋のドアを開けて、浩が氷枕を片手に入ってきた。

「沖田君!」

花音は、夢を思い出し、顔を逸らして視線を落とした。

浩は、薫の横に座ると、

「びっくりしましたよ。僕が帰ってきたら、いきなり薫さんが来て『花音が死んじゃうー!』って、僕を引っ張っていくもんだから……」

と、花音が気絶している間の事を話してくれた。

それから、花音の顔を覗きこんで、

「どうしました? 顔が赤いですよ? 本当に熱が出たんじゃ——」

と、額に手を当てた。

——ドキッ!

胸の高鳴りにつられて、花音は思わず、

「きゃ! や、やめてっ!」

と、浩の手を払い除けてしまった。

「ちょっ……花音!」

薫は驚いて、つい大きな声を出す。

花音はハッとして、思わず涙がこぼれた。

「花音さん……」

浩が、少し悲しそうな声で名前を呼んだ。

「帰って……お願い」

搾り出した声が震えていた。傷つけてしまったことと、夢のこと、恐怖なのか、それとも他の何かなのか、混ざり合ったようなぐちゃぐちゃの感情の中で、花音はやっと搾り出した。

浩は立ち上がると、

「わかりました。お大事に……」

と言って部屋を出て行った。

「花音! せっかく来てくれたのに!」

薫は、花音に言うと、浩の後を追い、玄関で追いついた。

「沖田さん! ごめんなさい。花音、きっと気が動転してて……」

「大丈夫ですよ。分かっていた事ですから。ただ、やはり何度言われても、ショックは小さくならないですね」

後半は、半ば後悔のようにも聞こえた。それから、気を取り直して笑顔を作ると、浩は薫に背を向けて玄関のドアに手を掛けた。

「ちょっと……待ってくれないかな」

呼び止めたのは薫だった。

「はい、どうしたんですか? ——あ。そう言えば今日でしたね。薫さんに全てを話さなければならない日は」

浩は、薫の顔を見て思い出した。

「話す場所はここじゃ何だから、俺の家においで。あと……大きな声を出さないでくれ、いいね?」

「わ、わかったわ」

薫は、雰囲気を変えた浩に、内心ビクビクしながらも、浩の家へ同行した。

「さあ、話して。なぜ、花音の名前を知り合う前から知っていたの? それから——」

「ストップ」

浩は、薫の言葉を遮った。

「君の聞きたいことは全部知ってる。だから、先に俺の話から聞いてくれ。それで、まだ聞きたいことがあったら、質問してくれて構わない」

穏やかな表情でも、目は真剣だった。薫が黙って頷くと、浩は椅子に腰をかけて、

「俺が花音の事を知っているのには、幾つか訳がある。信じてもらえるかどうかは、分からないけど——」

「話して!」

薫も、話の内容が生易しいものではないと思ったのか、真剣に耳を傾けた。

「俺は、今から五年後の未来から来た。そこでは、今とは比べ物にならないくらい急速に技術が発達してきていて、過去にも行けるようになった。もう一度、花音に会いたくて、助けたくて……。未来も俺と一緒にいて欲しくて————でもそれは、叶わない事だから、せめて花音だけは生きていて欲しいんだ」

浩の話しは、花音への想いが溢れていた。でも、薫は違和感を感じていた。

「ちょっと待って。もう一度会いたいとか、未来も一緒にとか、何でそういう風に言うわけ? 花音は生きてるんだから、未来にもいるはずでしょ?」

と、疑問をぶつけた。

すると、浩は床を見つめたまま黙り込んでしまった。

「沖田君?」

薫は浩の顔を覗き込むと、驚いて言葉をなくした。

夕日の光がいっぱいに差し込む部屋で、浩は手を強く握り締めて、涙をこらえながら震えている。

「未来なんて分からないもんだよ。本当。花音は、二十歳の誕生日が過ぎてまもなく、俺をかばって死んだ。交通事故だったんだ。——あいつは俺の全てを知った。そして理解してくれた。それでも……俺を好きだと言ってくれたんだ! でも、俺はその気持ちに応えてやれなかった。……好きだったのに。愛していたのに……どうしてもっ!」

浩は、それ以上、何も言わなかった。——いや、言えなかったと思う。言葉よりも先に、涙が頬を伝うから……。

顔を上げた浩は立ち上がり、カーテンを閉めた。

その時だった。薫は目を疑った。

「嘘……でしょ?」

と、声にならないくらいの思いで呟いた。

「驚いた? でも、これが俺の本当の姿……吸血鬼なんだよ。人を襲ったりはしないけど、やっぱりそういうイメージってあるだろ?」

黒い翼を広げて、浩は悲しそうな笑顔を見せた

薫は、「もっと詳しく教えて! 私にも何か出来る事はないの? もし、今の話も、これから起こる事もすべて事実になるのなら、私は嫌よ。花音が死ぬなんて嫌っ!」

思わず出てしまった大きな声と大粒の涙が、薫の胸を締め付けた。

「薫さんには、この事を知っておいて欲しいんだ。それだけでいい。……俺は、その未来を、変える」

「未来を変える?」

「ああ。俺が代わりになるから。元々は俺だったわけだし。君は俺が死んだ後、花音との約束だから、今の話をしてやって欲しい。あと、この手紙も一緒に渡してくれないか」

浩は、とても穏やかな顔に戻っていた。手紙を差し出す時も、優しい目をしていた。

「あなたは……なんでそんな穏やかな顔をしていられるの? 自分は死ぬのよ? 花音が生きていても、あなたがいなくちゃ意味がないじゃない! どうして——」

「どうにもならない事だってあるんだ! 花音は俺をかばって死んだ。だから、過去を変えるには、俺が……俺が死ぬしかないんだよっ!」

薫につられて、浩も大きな声を出してしまい、ハッと口元を手で押さえた。

「念のため、防音室に改造しておいてよかった。さあ、花音が部屋で心配してるよ。くれぐれも言わないようにね」

サイドボードに手をついて、薫に背中を向けたまま、浩が言う。

薫は、「念のため聞いておきたいんだけど……」

「何?」

「あなたが未来から来たというなら、今の時代のあなたはどうしてるの?」

「それなら心配ない。今はこの世にいないから……」

浩はすがすがしく答えた。

「どういうこと?」

「同じ時に同じ人間がいたら困るから、この時代の方は俺の中で寝てる。幽霊が体を乗っ取ってるって言えばわかるかな? 俺が死ねば、こいつも死ぬ」

「そんな————っ!」

薫はそう叫んだ時に、幾つかの事に気が付いた。

——この人……自分の存在を消せるほど、自分が死んでしまってもいいと思えるほど、花音の事を愛してるんだ。最初から、それを覚悟で……望んできてる。

「……わかりました」

薫は、感情を飲み込んで、ひとことだけ言い残すと、部屋を出て行った。