花音は旅行にいけない事を根に持って、次の日、薫が家を出るときも、膨れっ面をしていた。

「行ってきまーす!」

「行ってらっしゃい……。お土産、たくさん買ってきてね」

元気よく出て行く薫に、花音は文句とお土産を催促した。

(——ちぇ……。薫ってばずるいよ。自分だけ旅行行っちゃうなんて)

花音はソファーにドサッと座ると、そのまま仰向けに寝転がった。溜め息と同時に見上げた天井が、一人である事を強調させる。

「沖田君……」

どうしても会いたい。今すぐに会いたい。その瞳に私はどう映っているんだろう。そんな事を思うと、再び溜め息が出た。

「花音さん、沖田です。そこにいますか?」

玄関の方から、インターホンと共に、浩の声が聞こえた。

花音は、勢いよく起き上がり、玄関に急いだ。

「沖田君!」

と、花音は浩を出迎えた。

(嬉しい。一番会いたい時に、会いに来てくれた。それだけで胸が満たされる。それだけで……——)

——ぽたっ……と、床に雫が落ちた。

「花音さん! どうしました?」

浩が慌てて花音の顔を覗き込む。

「え?」

花音は自分の頬に指を触れると、生温かい液体で指先が濡れるのを感じた。

ぎゅっと浩に抱きつくと、花音は想いを告げた。

「沖田君……。私、あなたが好き。あなたの側は、とても落ち着かなくて、嬉しくて、愛しくて……。こんな気持ちは初めてなの」

「花音さん?」

「好きなの」

浩は、自分の肩に力が入るのを感じた。

(——あぁ。どうしよう……)

理性が気持ちに勝てない。どんなに拳をきつく握っても、全然冷静さが戻ってこなかった。

「……ありがとう。花音さん」

言ってしまった。いつか別れてしまう人なのに。大きな悲しみを与えてしまうだけなのに……。

花音を強く抱きしめて、浩はバカな事をしたと後悔した。友達としてなら、まだ一時期の悲しみに終わらせてやれることだって出来たのに。

(初めからそうだ。本当は知り合いにだってなる必要なんてなかったのに。計画とやってる事がめちゃくちゃだ……)

いくら頭でそう思っても、花音の感触が、浩の体中に蘇ってくる。

懐かしい。
 愛おしい。
 愛したい。
 離したくない。
 もう二度と————。

「あ、あの。実は薫さんから、旅行中の花音さんを宜しくと言われているんですが、良かったら、一緒にいても?」

「もちろん」

花音は抱きついたまま、答えた。

そして、それから花音と浩は恋人になった。

だが、幸せな毎日が過ぎることに比例して、浩の中では後悔が日に日に大きくなっていった。

ある日の夕暮れ、浩は一人、部屋で花音が来るのを待っていた。

「いよいよ今日だ。花音に話さなきゃ……」

浩は呟くと、両手を強く握った。

(既に俺が来たことで、少しだけ歴史がずれてきている。もし話したとして、花音が同じ答えをくれるとも限らない。もし、理解されなかったら————)

その時、インターホンが鳴って、花音がやってきた。

「浩、話しって何?」

いつものように朗らかに笑う花音を前に、浩は緊張を隠せなかった。

「花音。部屋のドアを閉めて、鍵をかけてくれ……」

「え? う、うん。わかった」

わけも分からぬまま、花音は部屋のドアを閉めて鍵をかけた。

浩は席を立って部屋の電気をつけると、カーテンを閉める。

「これから見せるのは、俺の本当の姿だよ」

と、黒い翼を広げ、口元から牙をのぞかせた。

「——う、嘘でしょ? 浩が、吸血鬼だなんて……」

花音は、足の力が抜けていくのを感じ、床に座り込んだ。

「本当なの……?」

「本当だよ。体質変化で、今は人を襲ったりはしないけど。だけど、できることなら普通の人間として、花音に出会いたかったよ……。本当に楽しかった」

(これでいい。これで)

浩は、できるだけ平静を装った。

「浩……それは、何かあなたに悲しみを与えるものなの? 知らぬ間に、人を傷つけてしまうものなの?」

真剣な眼差しで、花音は浩を見つめた。

浩は、首を横に振って、「でも、これから傷つけてしまうから……」

「これから?」

と、花音は不思議そうに見つめ返した。

一瞬、浩は全てを話せたら、どんなに楽になれるんだろう……と、心の底から思った。何度も、言いかけてはやめてを繰り返すと唇が震える。

(——駄目だ! 言ったら、俺が楽になる分、花音が背負うことになる……!)

必死に抑えこむことしかできず、体まで震えてきた。

「後で、分かることだから……。今は、知らない方がいいと思う」

元の姿に戻って、よろよろと花音に近づくと、そっと花音を抱きしめた。花音の背中越しで、鍵を開けると、花音を部屋の外へ押し出した。

「さようなら、花音」

「ちょっ……と、嫌よ! 私は、別れたくないっ!」

「……」

「どうして? 私は、浩が好きなの! 吸血鬼でも、どんな姿でも、浩じゃなくちゃ嫌だ!」

放したはずの花音の体が、浩の体から離れない。強く抱きしめられた腕から必死さを訴えてくる。

涙声の訴えに、心臓が口から出てしまいそうなほど血が沸き立つのを感じた。

「どうしてっ! どうしてそんなに苦しめるんだ! 俺だって別れたくないのに! こんなに……こんなに愛してるのに! どうして君は————!」

花音の体を力一杯に抱きしめる。堪えていたはずの涙が頬を伝うことなく床に落ちていく。

(——花音。泣くな)

矛盾していることは分かってる。自分で決めてきたこと。それなのに、尚も抗おうとしてしまう自分にうんざりする。

「————花音……ごめん。愛してる————」