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夏休みが終わり、花音の二十歳の誕生日、九月十八日。

「どうしようっ! 甲斐君が、話があるからサクラ公園まで来てくれって!」

と、どたばたしているのは、薫である。

「早く行ってきなよ。いい加減気付いてるんでしょう? 両片思い★」

花音は、外出用の服に着替えながら、鏡越しに言った。

薫が、赤面しながら暴れている。

「今日は、私の誕生日なんだからね。夜までには帰ってきなさいよ。甲斐君も連れて」

胸元のリボンを整えて、花音も鼻歌交じりだ。

「そう言えば、花音も何処かに出掛けるの?」

「うん。浩とデート……っていうのは嘘。誕生日だし、夕飯、豪華にしようと思って。買出しに付き合ってもらうのよ」

「何その新婚臭!」

薫のツッコミに、「新婚じゃない!」と悪態をつきながら鏡の前で一回転した。

「花音ー。買い物行くぞ」

玄関から、浩の声が聞こえ、

「あ、今行くー。薫、後は宜しく頼むわね」

と、花音は部屋を出て行った。

「はいはい……」

薫も、もうこんな二人の姿に見慣れ、いつもの様に軽く答えた。

「お待たせ!」

と、花音は元気に答えた。

「よし。それじゃ、行きますか」

と、浩は花音に手を差し出し、花音も遠慮なく手を絡めた。

その姿を部屋の窓から見ていた薫が、幸せそうに見送る。

「さて……と、私も甲斐君のとこに行かなくちゃ」

薫は、準備を済ませると、サクラ公園に向かった。

近くのスーパーは小さく、品数も少ないため、少し遠いデパートまで買い物に来た花音と浩は、

「何買おう」

「誕生日の定番で良いんじゃないの?」

「そうだよね。じゃあ、ケーキは最後でしょう? 先にサラダとお肉と飲み物。それから……」

「せっかく二十歳なのに、お酒は飲まないんだ?」

「う……。だって、苦いんだもん」

花音の返答に、浩は思わず息が漏れた。

「ちょっと! 笑うことないじゃない」

——花音。今夜は薫さんたちが買ってきたカクテルを飲んで、美味しい。って言うんだよ。大丈夫。決して弱いわけじゃないよ。

浩は怒る花音を眺めながら、既にずれてきている時間軸に、警戒せずにはいられなかった。

薫が甲斐に呼び出されたとを、ここへ来る途中で聞いた。甲斐が薫を呼び出すのは、記憶では花音の誕生日の二日前だったはずで、他にも、早まったり、遅くなったり、過去の記憶と順番が前後していた。

(いつあの事故が起こるかわからないな。誕生日の六日後だったし————)

「——。浩? 大丈夫?」

ぐいっと腕が引かれ、花音が心配そうに顔を覗く。

「あ……ご、ごめん」

「疲れた? ちょっと休む? って言っても、これが最後なんだけどね」

ケーキを指さして、花音がどれにしようか悩んでいる。

(——最後……か)

浩は、悩む花音の横顔を目に焼き付けた。

その頃、薫は甲斐とサクラ公園にいた。

「えぇっ! 本当に? 本当にプロとして認められたの?」

と、大きな声で叫んでいるのは、もちろん薫である。

「ああ……。服のメーカーで、俺のデザインでブランドを立ち上げてもいいって」

「すごいじゃない!」

パチンと手を打って喜ぶ薫に、甲斐は、照れた様子で頷き、

「それで……。薫に、その……頼みがあるんだ」

「頼み?」

「いや……。無理にとは言わないんだけど——」

甲斐は、そう言うと、葉書きサイズの紙を一枚手渡した。

「——A・GODDESS——?」

「そう。その……俺の作った服のモデルをやってくれないか?」

「え? モ、モデル! 私が?」

黙って頷く甲斐に向き直り、

「何で? 私なんて、ただの学生だし。綺麗でもないし、足だって——」

「薫がいいんだ! なあ、薫。GODDESSの意味、知ってる? 女神なんだよ。だから、俺はその女神は、薫以外にはいないと思ってる」

「……」

「本当は、プロのモデルが付く予定だったんだけど、無理言って変えてもらったんだ。勝手な事言ってごめん。でも本当、俺の女神は、薫以外いないと思ってる」

薫は、言葉を探した。嬉しい。でも『嬉しい』の言葉では伝えきれない。

甲斐の腕にそっと手を添えて、「ありがとう……ございます。よ、宜しくお願いします」

と、言うと、甲斐が体を抱き上げた。「やった!」

「え? ちょっと甲斐君!」

肩に手をついて必死に抵抗するも、甲斐には大はしゃぎで聞こえていない。

振り回されて、しがみついているしかない薫の視界が、急に低くなると、視界が遮られた。

唇に熱いものが押し当てられている。

「——!」

突然のことに、対応できず、薫は呆気に取られていたが、状況に思考が追いつくと、そのまま目を閉じた。

——いつでも、あなたの女神でありますように。一人だけの、GODDESS——

「そうだ!」

いきなり唇を離すと、薫が声をあげた。

「今日ね、花音の誕生日なの。花音に甲斐君も連れてきてって言われてるんだ! いいかな?」

「別に、いいけど……」

甲斐は、雰囲気をぶち壊されて苦笑したが、それが薫だもんな……と、心の中で呟いた。

「良かった。もうそろそろ、花音と沖田君が帰ってくるはずだから、準備を手伝ってもらいたいのよ」

「雑用係ってか?」

と、甲斐は笑った。

「あ、そんな意味で言ったんじゃないんだけど」

「嘘だよ。わかってる。ほら、行こう」

甲斐はもう一度、今度は薫の頬にキスをすると、赤面する横顔を見て満足気に歩き出した。