エピローグ

それから、浩はもう、二度と目を開けなかった。

「花音! どういう事なのっ? かの————!」

駆けつけた薫と甲斐は、金縛りにあったみたいに動けなくなってしまった。

花音は病院の廊下にある椅子に座りながら見向きもしない。遠くから見てもわかるほど、ひたすらぽたぽたと涙を流していた。

「花音……」

花音の肩に、薫はそっと手を置いた。

「あ、か……おる……。ここ……は?」

「病院よ。私たちは今来たところ」

「病院……」

呟くと、何かを思い出そうとしているのか体が小刻みに動く。

(何で病院なんかにいるの? ——そう。大切な人を失った。浩は……死んだんだ————)

「う……くっ……」

花音は、決壊したダムのように薫に飛び込み、涙が枯れてしまうまで泣いた。

薫はただそれを受け止めるしか出来なかったが、甲斐も薫も一緒に泣いた。

浩には、家族がいなかった。正確には、見つけられなかった。浩の家には、家族につながるものが何もなかったから。まるで花音たちだけがその存在を知っているかのように、他人に繋がるのもがなかった。

花音たちは、できる限りの葬儀をした。

花音の両親も、話を聞いてイギリスから帰国し、手を尽くしてくれた。

驚くことに、浩の遺骨はほとんど残らなかった。拾い上げようとした瞬間、直ぐに砂のように砕けた。とても小さくなった浩の欠片を、花音は小瓶に入れ、残りは納骨用の陶器に入れた。

全てが片付くまで、淡々と日々は過ぎていった。

「花音……」

納骨式の翌日、薫は花音に封筒を手渡した。

「何?」

「その手紙、沖田君から預かってたの。いつか、この日が来たら渡して欲しいって……」

「——え……?」

花音は受け取った封筒をひっくり返すと浩の文字を見つけて、そのまま封を丁寧に開くと、視線を走らせた。

『——Dear.花音——
 花音がこれを読んでいるなら、俺はもうこの世にはいない。
 手紙になってしまうけど、約束通り全てを話します。
 俺は五年後の未来から来ました。俺の生きた時代は、子どもを助けに行った俺の前に立って、花音が死んでしまった。
 花音には生きていて欲しかった。
 愛していたから。
 勝手かもしれないけど、俺の気持ちを受け入れて欲しい。
 俺は側にいられなくなってしまったけど、いつまでも花音を愛してる。
 大丈夫。花音なら大丈夫。
 幸せになってください。
 ——From.浩——』

——ポタッ……

手紙に、花音の涙が落ちた。声が出ないまま、堪え切れない花音を、薫は抱きしめた。

「浩……浩!」

花音は泣きながら、浩の手紙を胸に抱きしめ続けた。

——それから、五年の月日が流れた。

「おめでとう、薫」

「ありがとう」

一流デザイナーの仲間入りをした甲斐と、そのモデルで脚光を浴び、今や日本中で注目を集めている薫。今日はそんな二人の結婚式。

「幸せにね」

「うん」

花音は電話の向こうから、祝福の言葉を送った。

「花音がアメリカに行ってから、もう二年半も過ぎたんだね」

「そうだね」

「一人暮らしはどう?」

「まあまあかな……」

浩がいなくなってから、花音の生活は一変した。ぼろぼろで何も手が付かず、生きているのか死んでいるのかもわからなかった。

忙しいはずの薫から度々連絡をくれることに、本当に感謝しかなかった。

「花音ったら、忙しい忙しいで全然日本に帰ってきてくれないんだもん」

「ごめんね」

「今日は絶対会えると思ってたのにな」

「年末には調整するよ」

「本当に? 来なかったら、こっちから行くからね」

「何言ってるのよ、売れっ子に休みなし! でしょ?」

花音たちが笑いながら話をしていると、

「薫ー。そろそろだぞ」

式場の控え室に、新郎姿の甲斐が入ってきた。

「はーい。んじゃ、またね花音」

「そっちこそ、本番しっかりね」

そう言い合って、二人は受話器を置いた。

花音は、部屋のベッドに寝転がって、ため息をついていた。

「いいなあ、結婚……」

そう、一人で呟いた。ゆっくり目を閉じると、窓から、日の光が顔を照らした。

「さあ、私は仕事仕事!」

花音は立ち上がると、上着を羽織った。

鞄を手に取ると、窓辺の小瓶をそっと撫でて部屋を出て行く。

ドアを閉める間際に、

「行ってきます」

と残して。

END
吸血記録~Dear.花音~