Ⅰ・花見の丘で

——それは、「運命」と呼べる。君に出会えたこと——

——四月の初め。その日、俺は君に出会った。
  『運命』と呼べるほど、君を愛した。
   とても短い、季節の中で。

「ちょっと、翔! 早く下りてきなさいよ。皆待ってるわよ!」

「今行くよ!」

そう言って、三崎(みさき)(しょう)は急いで洋服の袖に腕を通した。

階段を下りると、母・佐弥子(さやこ)は呆れた顔をして、「服、それしかなかったの?」

と、どこか不満そうに言った。

高校二年生になって、自分の意志を手にする事ができた翔にとって、佐弥子の言葉はどうでもよかったのかもしれない。

「え? これじゃダメかな。一番マシなの選んで着たんだけど……」

と、翔はTシャツを掴んで言った。

母は、「そうなの?」

とでも言いたそうな顔で、

「黒いTシャツに革ズボン、アクセサリー付けて、髪までワックスまみれ、それでマシなんて言ったら、母さんついていけないわ」

と、手を顔に当てて、冗談みたいに言った。

佐弥子はこんなことを言っているが、別に嫌ではなかった。ちゃんと理解しているからである。格好だけが全てではない事を。そして、それはお互いに感じていることだった。

「行こう、母さん。皆が待ってるんだろ?」

と、翔は靴を履いて、料理が入ったバケットを手に取った。

「ええ、急がなくちゃ」

そう言って、翔と佐弥子は家を出た。

ちょうど春休みに入って桜が満開になり、柔らかい陽射しの照る、花見には絶好の日だった。

「あ、来たわ! 三崎さん、こっちこっち」

と、佐弥子の友達が、大きく手を振っている。

「どうもお待たせしました」

「いえいえ、いいんですよ。私らは勝手に始めちゃってますから。それより息子さん、しばらく見ない間に大きくなったわね」

「もう十七歳になりましたからね」

と、ビニールシートに早速靴を脱いで、友達の輪の中に入っていく佐弥子をみて、翔は、

「さすが。あのテンションは母親の年代特有のものなのか?」

と、関心すら覚えた。

翔はふと視線を上げた。すると、少し先にある丘の上に大きな桜の木が見えた。

「母さん、ちょっと散歩してくるよ」

目にとまった桜の木が、何故か気になってしまって、人混みを掻き分けて丘へ上がった。

「綺麗だな……」

そう呟きながら、翔は桜の花に目を奪われていた。

「——た……そこのあなた、何しているの?」

どこから、翔を呼ぶ明るい声が聞こえた。

「え?」

「こっちよ、上、上」

きょろきょろと見回している翔に、木の上から女の子が顔を覗かせた。

「一人で暇してるんだったら、上に来て一緒に花見時の風景でも眺めない?」

そう言って、彼女は綺麗な長い髪をそよ風に揺らしながら微笑んだ。

翔は、そんな彼女に誘われて、桜の木に登った。

上の方まで来ると、今までこんなにたくさんの人の中にいたのか、と翔は驚いた。

「あなた、名前は?」

と、彼女は聞いた。

「三崎翔、君は?」

と、聞き返しながら、翔は彼女の方を向いた。

——その時、「え…?」

翔は、思わず目を疑った。

「君……背中に翼が?」

と、翼を指差して言った翔に、

「だって、私はこの桜の木の妖精ですもの、あって当たり前よ。それに、私は君じゃなくて紗桜(しゃおう)よ」

と、紗桜は言った。

「妖精って事は、魔法か何か使えたりするわけ?」

翔は不思議そうに紗桜を見つめて言った。

すると、「私は守護の妖精だから使えなくていいんです……」

と、膨れっ面をして、紗桜は言い返した。

翔はそんな姿を見て、思い切り笑い出してしまった。

「なんで笑うのよ!」

「あはははっ! ごめん、ごめんってば」

紗桜の言葉に翔は謝りながら、

「膨れっ面が、あまりにも可愛くて」

と、息が出来なくなりそうなくらい笑っていた。

——この時かもしれない。
   俺が君に惹かれ始めたのは……。

翔と紗桜が話し始めてから、四時間ぐらいが過ぎた。その間に、翔も紗桜もたくさんの事を話した。未来の事も話したし、今までの失敗話もした。ただ黙って花見の景色を見ていたりもしたけれど、それは今まで見た花見のどれよりもどこか美しく綺麗だった。

そして、日は傾いて紅く空を染めていった。

「もうそろそろ戻らないと、暗くなっちまったし……」

と、翔は言った。

「そうだね。……また、明日も来てくれる?」

そう笑って返してくれた紗桜が、急に切なそうな瞳で、翔に問いかけた。

「ああ、もちろん。こんなに楽しく話せる女の子は初めてだし、こっちから願いたいくらいだよ」

と、翔は微笑んだ。

それきり、紗桜は何も言わなかったが、翔は紗桜の嬉しそうな顔を見て、

「それじゃ、また明日」

と言うと、桜の丘を下りていった。

部屋のドアを閉めてベッドの上に寝転がった翔は、

「紗桜……か」

と呟くと、一瞬何かひらめいて、急いで部屋にあるギターに手を伸ばした。

翔は音楽が趣味で、プロを目指しているわけではないが、作詞・作曲何でもやる。まだまだ、実力は伴わないが、学園祭の時には結構盛り上がって、学校中を騒がせていた。

翔は、手に取ったギターで、流れ出したメロディーを口ずさみながら、何度か弾いてみた。けれど、それも束の間。すぐにぐちゃぐちゃになってしまい、翔はギターをベッドにおろした。

——頭の中で、紗桜と交わした言葉が何度も繰り返される。そして、手に取ったシャープペンシルが、ルーズリーフに言葉を綴り、翔の頭の中には果てしない気持ちを示す言葉のフレーズが、幾つも出来上がっていた。

後々、読み返して気付いた事だ。この時既に、俺にとって、紗桜はもうただの友達ではなかった。

——ほんの少し違う……特別な友達。