Ⅲ・嵐 ―予感―

「ただいま……」

と、翔は玄関に入って靴を脱いだ。

「翔、遅かったわね。さっきからずっと待ってたのよ」

佐弥子がリビングから顔を出し、手招きする。

「どうかしたの?」

「翔ったら、驚くわよー」

と、にやにや笑っていた。

「もったいぶってないで早く言えって……」

少しイラつく気持ちで、翔は佐弥子に言った。

すると、リビングから見覚えのある女の顔が、ひょっこり現れて、「翔君!」

と、言う声と共に、翔の体に重くのしかかった。

翔は、その女が誰なのかすぐに分かった。

千夏(ちなつ)! おまえ、どうしてこんな所にいるんだ? 外国に——アメリカに引っ越したろ?」

「アメリカじゃなくてイギリスよ。戻ってきたの。引っ越したって言っても、もう八年近く前の事よ?」

と、千夏と呼ばれた女はくすくす笑った。

「そうだったっけ?」

千夏は小学校三年生まで隣に住んでいた。謂わば幼馴染にあたるのだが、その年の終わりに海外へ引っ越していった。それから、一度も会っていない二人が、今こうして再開しているのだから、人間の関係というのは面白いものである。

「で、どの辺に引っ越してきたんだ?」

と、翔は千夏に聞いた。

「知りたい?」

千夏は、待ってましたとでも言うような笑顔で言った。

「実は、翔君の家から五分くらい歩いたところなんだよ」

「えっ? なんだ、すげー近いじゃん。よく空き家があったな」

「たまたま、だよ」

「へぇ。じゃあまた母さんが入り浸るかもな」

翔は佐夜子がよく遊びに行っていた事を思い出して笑った。

千夏は、翔が今日家を出てからすぐに来たらしく、親同士で話していて、後はもう聞き飽きたとでも言いたそうな顔をしていた。

「俺の部屋行って話す?」

「うん。何かここはここで、話盛り上がってるみたいだし」

そう言って、千夏と翔は階段を上がって部屋に入った。

途中までは、母親も混ざって話していたのに、親には親同士の話というものがあるらしい。いつの間にか、親は親同士、子供は子供同士で話していた。

翔は、自分の部屋に入ると、部屋の電気をつけた。すると、窓の前に見覚えのある姿があった。

「おまえ——!」

そう言った翔が、窓の近くまで寄っていくと、そこには春妃の姿があった。

「おまえ、その女がいるのに紗桜に近づいたのか?」

春妃の視線の先に、千夏の姿があった。

翔は、「何勘違いしてるんだ? 千夏はただの幼馴染だ。たまたま遊びに来てただけだろ?」

「勘違いだと? こんな時間に男の部屋に上がりこむなんて」

「だから、親同士の仲なんだって。下の声聞こえてるだろ」

翔は、強い口調で言い返した。

「まあ、どっちだっていいさ。紗桜がこの事を知ったら、おまえなんかとは別れるだろうから……」

「何言って——!」

「じゃあな」

そう言って、春妃は夜の闇の中に消えていった。

「ちょっ……待てよっ!」

と、翔は春妃に呼びかけたが、春妃の姿はもうなかった。

すると千夏は、窓の外を見つめている翔の腕を掴んで、

「紗桜って誰?」

と尋ねた。しかし、翔はその声が聞こえず、頭の中で思考をめぐらせた。

「嫌な予感がする……」

翔は、確かにそう呟いたのである。